孫子の兵法における位置づけ
主は怒りをもって師を起こすべからず。将は憤りをもって戦いを致すべからず。
こちらは、孫子の兵法の火攻篇(第12)で説明されているフレーズです。
怒りや憤り(いきどおり)については、戦いにおいて、これをむしろ活用してエネルギーにしようという考え方もあるとは思います。孫子の兵法の火攻篇では、その逆で、大きな戦いや局地戦を始めるにあたって怒りのコントロールについて説明しています。
「主は怒りをもって・・・」のフレーズの全体像
こちらのフレーズでは、冒頭に書いたように、まずは以下の2つから始まります。
「主は怒りをもって師を起こすべからず」
「将は憤りをもって戦いを致すべからず」
その上で、次に、その理由を以下のように簡潔にですが示しています。
「怒憤は時に喜悦にかわるべきも、亡国は再び存ずべからず。死者は再び生くべからず。」
孫子の兵法らしく、理由もロジカルで冷徹に述べられていますね。
もう少し詳しくこれらのフレーズをどう読むことができるのか、次に解説していきます。
意外と、人は怒りに任せて、重要な判断をする
怒りに任せて、喧嘩をしてはいけない・・・
馬鹿にされたからと言って、相手の挑発に乗ってはいけない・・・
とてもよく聞くセリフで、言われたら皆さん、それに反論する人はあまりいないと思います。
思うに、孫子の時代、これを一個人の問題として捉えたら、コントロールが簡単だとしても、軍隊を率いる将軍や君主の立場にいる人が、自分の配下の武将や大臣たちが全体として、怒り・憤りの空気となって来た時に、これをリーダーとしてコントロールするには、かなりのエネルギーが必要だったのではないかと私は想像します。
だからこそ、これを孫子の兵法として、兵法書にしっかりと明記して収める必要があったのではないか、、、と思いました。
特にリーダーの立場にあると、配下のメンバーたちに、強いリーダーだと思われないといけないというプレッシャーがどうしても出てくるものだと思います。そういった時に、例えば、チーム全体が侮辱を受けたりした場合、チームメンバーの期待を背負って、つい勇み足で、合理的に考えたら得にならない行動を取ってしまうことは結構あるのではないでしょうか。
ある意味、メンツや見栄、表面的なプライド、といった合理的な判断の邪魔になるようなものを、一切削ぎ落として、重要な意思決定は行わなければならないといったことが言えますね。
組織のリーダーとしての立場を維持するために、メンツや見栄、表面的なプライドは必要になる場合もあるとは思いますが、逆に、そう言ったものを必要とするようなリーダーのあり方では、重要な意思決定を繰り返すような、激動の時代、激動の環境においては、勝利を得ることができないとも言えます。
感情は変化しやすく、亡国は戻らない
「怒憤は時に喜悦にかわるべきも、亡国は再び存ずべからず。死者は再び生くべからず。」
個々人の感情は変わりやすく、それはチームや組織においても同じで、チーム全体のメンバーの感情の集合体である雰囲気も実は変わりやすいものです。
実際に、自分自身の感情ですら、さっきは何であれほど、頭に来ていたんだろう・・・と、しばらくしてから、急に冷静になって、自分自身がおかしく感じたことが過去に一度は、みなさんあるのでは無いでしょうか。
その一方で、きっかけが感情であったとしても、一度、失策によって国が滅びてしまったり、将軍や兵士が殺されてしまったら、絶対に、滅びた国は戻らず、死んだ人も生き返らないのです。
ですので、リーダーは、チームメンバーの一時的な感情や雰囲気のプレッシャーに負けて、重要な意思決定を行なっては、事をあやまります。
孫子の時代であれば、国が滅んでしまえば終わり、重要な戦争の判断の失敗は、簡単に一国の消滅にもつながったことでしょう。
現代においても同様で、多くのかつて優良と言われた企業が日本でも実際に滅んで行っています。もちろんそれは、広い意味で、曖昧な組織の雰囲気などという全く根拠のない脆弱なものに依存して、またそこに油断させられて、合理的で冷徹な判断を責任を持って行ってこなかったことのツケが来ている、ともある意味言えるでしょう。
それくらい意思決定というのは重要で、組織の生き死にを決めるものであり、プレッシャーに負けて合理的な判断ができないリーダーでは舵取りができないものであるのではないでしょうか。
Youtubeでも、このフレーズについて語ってみました
さて、今回はいかがだったでしょうか。こちらの「主は怒りをもって・・・」の孫子の兵法のフレーズについても、Youtubeで語ってみました。
記事を読むのと違って、音声だけ流して聞いたりと便利な使い方もできますので、よければぜひご視聴してみてください。チャンネル登録や高評価もいただければ嬉しいです。
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