アレキサンダー大王 イッソスの戦い ー ペルシアの大軍10万をマケドニア軍4万が完全撃破

イッソス の戦い アレキサンダー大王の戦い

イッソスの戦いの概要

今回はアレキサンダー大王の数ある戦いの中でも、非常に有名な戦いである、イッソスの戦いについてお話しさせていただこうと思います。ぜひよろしくお願いいたします。

イッソス 壁画等.001

みなさんアレキサンダー大王の名前はご存知な人も多いのではないでしょうか。ですが、意外とアレキサンダー大王の実際に行った戦闘や戦術がどのようなものであったかまでは知らない方も多いかもしれません。

非常に古い時代に行われた戦闘ですが、現代に生きる、非常に教訓があり、興味深いお話です。まずは、概要とポイントから先に簡単に書かせていただきますね。

概要

イッソスの戦いは紀元前333年10月にペルシア軍とマケドニア軍の間で行われた戦闘です。

この戦闘の一番の特徴は、アレキサンダー大王率いるマケドニア軍が約4万人の兵力で、約2.5倍に相当する、ダレイオス率いる約10万人の兵力の軍を打ち破ったことです。

イッソス 壁画等.002

↑こちらがイッソスの戦いを描いた紀元前100年のモザイク画です。左側がアレキサンダー大王、右側がペルシア王であるダレイオスです。アレキサンダー大王が重装騎兵を率いてペルシア軍の中央を側面からえぐる形で切り込み、混乱したペルシア軍がダレイオスをなんとか守ろうとしながら離脱しようとする、その瞬間を描いているものと思われます。

イッソスの戦いで戦った両軍の構成

次に、イッソスの戦いで戦った両軍の構成を簡単に比較してみてみましょう。 

イッソスの戦い 表

ペルシア軍

まずペルシア軍の指揮官や兵力、部隊の構成を見ていきましょう。

指揮官:ダレイオス
兵力:約10万人
部隊:騎兵、ギリシア傭兵(ファランクス)、不死隊、近衛騎兵

ざっとこんな感じでした。兵力が大きく、ペルシアと言いながらも、ギリシア人の傭兵を雇っているというのがなかなか興味深いところです。既にこの時代からお金で雇う外人部隊のようなものが存在していたのですね。

マケドニア軍

次に、マケドニア軍についても同じように見ていきます。

指揮官:アレキサンダー
兵力:約4万人
部隊:ヘタイロイ重装騎兵、テッサリア騎兵、重装歩兵(ファランクス)

指揮官が先ほどの若きアレキサンダー大王です。兵力はペルシアより大分小さいですね。部隊の構成においてはファランクス(長い槍ぶすまを構える歩兵陣)の部隊を持っている点はペルシア軍と似ています。ただしこちらは傭兵でなく正規兵です。

また、騎兵も「重装」歩兵であるという点が特徴的です。

両軍の違いやポイント

このイッソスの戦いですが、両軍の大きな違いと特徴は大きく以下の3つです。

  • ①アレキサンダーが2.5倍の兵力差をもつペルシア軍と戦った
  • ②両軍とも騎兵を端に配置して端から押し込むことを狙った(後述)
  • ③ペルシアは傭兵が中心、マケドニアは生え抜きの兵が中心

両軍が騎兵を端に配置して中央を側面からエグることを意図した配置としていたという点が共通していましたが、兵力に関しては圧倒的にペルシア軍の方が有利な状況でした。

ただし、ペルシア軍はお金で雇った外人部隊であるギリシア傭兵がメインということに対して、マケドニア軍は生え抜きの正規兵がメインということで「質」の面ではマケドニア軍が優っていたとも言えるかもしれません。

トータル戦力ではかなり拮抗した、やってみるまでどういう結果になるか分からないギリギリの戦いであっただのではないかと思います。

アレキサンダーが勝った理由とは?

右翼からの切り崩し

マケドニア軍は、右翼のヘタイロイ騎兵が敵軍に突破口を作り、左に旋回することで、敵軍を横・後ろから一気に切り崩すことができました。

そして、このアレキサンダー率いるマケドニア軍の右翼には、アレキサンダーが直接率いるヘタイロイ重装騎兵が配置されていました。

戦列の端に騎兵を配置することで、この騎兵が敵軍の端の一角さえ崩すことができれば、騎兵がこれを突破口として敵を突き抜けて、旋回することで、残りの敵軍の後ろや側面から攻撃することが可能になります。

イッソス陣形1

正面を向いて整列している歩兵は、側面や背面からの攻撃にとても弱いです。

また、ペルシア軍は正面にもマケドニアの歩兵と面しているわけですので、正面にも圧力がある中で、側面や背面からも同時に攻撃を受けることは、隊列の兵が、どの方向にフォーカスすべきか定まらず混乱することで、実力を十分に発揮することができません。

いや、十分で無いどころか、実力の半分どころか1/3、もしかすると1割以下の力しか発揮することができなくなっていたのかもしれません。

ヘタイロイ重装騎兵は、その名の通り、軽装騎兵とは異なり、より重装備の武器や防具を備えた騎兵です。

このため最初に正面に対する敵軍に対する戦闘で有利な立場に立つことができます。また、正面の敵を撃破したあと、左へ旋回し敵の側面や背面に襲い掛かる際、騎兵特有のスピードが力を発揮します。

マケドニア軍中央の重装歩兵がなんとか耐え抜いた

次のポイントですが、アレキサンダーがマケドニア軍中央に重装歩兵を配置し、歴戦のパルメニオン将軍が、数の多いペルシア軍中央の圧力に何とか耐え、時間を稼ぐことができたことが大きいです。

上記のアレキサンダーのマケドニア 軍右翼からの突進は非常に上手く機能しましたが、その右翼からの突進を支えたのは、マケドニア軍中央の重装歩兵が数の面からも劣勢ながらも何とか耐え切ったこと、これに尽きるでしょう。

イッソス 陣形.002

もし、マケドニア軍中央の重装歩兵が、アレキサンダー率いる右翼が切り込む際にいち早く崩れてしまっていた場合、ペルシア軍は中央の圧力がなくなったことで、アレキサンダーの右翼を楽々と取り囲んで潰せてしまえる状況になります。

そうなってしまった場合、ペルシア軍は一気に優勢となり、マケドニア軍は惨敗、アレキサンダーも歴史と違って、ダレイオスの捕虜となってしまっていたことでしょう。

だからこそ、マケドニア軍勝利の要因の2つ目は、中央の重装歩兵が、歴戦のパルメニオン将軍によってリードされ数の面で優勢なペルシア軍のギリシア人傭兵を何とか耐え切って戦線を破られなかったことだと考えられます。

ここでのポイントは、マケドニア軍の配置上、限られた兵隊のリソースを中央の重装歩兵だけにフォーカスしすぎてもいけないし、右翼の重装騎兵だけにフォーカスしてもいけない。

中央の重装歩兵はギリギリ右翼の重装騎兵が敵軍に切り込んで撹乱できるまでの間、何とか戦線を維持して突破されずに耐えられるだけの兵力配分とした上で残りの力を右翼の重装騎兵に傾注する、このバランスが非常に重要だったということです。

アレキサンダー大王 イッソスの戦いを解説したyoutube動画

軍師チャンネルではアレキサンダー大王がペルシアのダレイオスの大軍を破ったこのイッソスの戦いについてお話しする動画を作りました。音声や動画を通して見ることができるのでオススメです。

よろしければぜひチャンネル登録ください。高評価もいただけたら大変嬉しいです。

アレキサンダー大王 10年間で世界大帝国を建設〜ペルシア大王とのイッソスの戦い〜リニューアル版

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